LDの話
平成9年4月のある日に我が息子が産まれました。2800gで、小さく産まれました。上の子が3580gだったので、下のこをものすごく小さく産んでしまったと思いました。
でもまあ、下の子を出産した時代は小さく産んで大きく育てるという風潮だったので、楽観的に考えてました。
しかし、私の考えはあっという間に崩れてしまいました。
出産して1週間で子供が熱をだし、完治しても、母乳やミルクもほとんど飲まず、飲んだと思ったら噴水のように吐く。そんなことを繰り返すものやから、6ヵ月検診では、痩せすぎといわれ
今でいう「ネグレスト」と思われてかも。もう、半分私は鬱状態やから、その当時は被害妄想の塊でした。
離乳食を食べれる早い段階で離乳食を始めようと指導がはいり、なんとか、食べてくれるものばかりたべさせてました。
体が小さく食に興味がないのもあって成長が著しく遅かった。
歩きだすのも、2歳になる1ヶ月前でした。
子供の成長が遅いので、ママ友も作らず、1人で孤独で子育てしてました。
(ママ友に成長を無意識に比べられるのが嫌だった)
未だにママ友少ない。
3歳になってまた、新たな困難を味わうことになります。
3歳になっても日常茶飯事に保育園で吐く、高熱は何度も出すし、入院するしで。
今、息子に聞くと、保育園、小学校、中学校生活が地獄やったそうです。
だから、精神の不調が体の不調に繋がるんですね。
私も子供の辛さは、その当時から分かってはいました。
小学校は
もうこの頃から、LD(学習障害児)なのではと疑っていました。
2桁同士の足し算は、紙に書いても解くことが出来ません。
(たぶん、今も出来ないかもしれません。)
算数の、文章問題も全く出来ません。それに加えて体育がほとんど出来ません。
やはり、トロいので、小学校の高学年はイジメの対象になりました。親子共々辛い時期ですね。
中学校もかなり辛いイジメだったので、書くの辛いので、やめときますね。
とはいえ、
LDを疑っていたので、私もどうにかしなければと思い、小学生高学年の時、病院で知能テストを受けました。
結果はグレーゾーン
「えっ?グレーゾーン」どうすればいい。となりましたが、
小学校時代には身体的な訓練をしばらく施設で受けました。
中学校、高校では、どうしても、共稼ぎの為、私が息子を施設に連れていけなり
息子のLDに関して、見ないふりをしてしまいました。
やがて、専門学校に通いはじめ、担任の先生から、ある日「息子さん、LDですよね。」と言われてしまいました。
「あ、やっぱり他人から見てもそうなんや。」
目を背けてたけど、ダメや。
もう1回息子に知能テストを受けさせよう。
7月に知能テスト受けます。
また、これから、結果がでてからお知らせします。